俺の印青連!!
なんて言うと、だいぶ偉そうに聞こえますね。
私達、印青連広報委員会が二年間大切に記事にしてきた印青連NEWSの連載企画「俺の○○!!」を、今回はブログにしてみました。
改めまして、皆さんこんにちは。
印青連広報宣伝委員会の委員長を二年間務めさせていただきました、松谷と申します。
私は、印青連こと「印刷産業青年連絡協議会」に、東京グラフィックス青年部FACEからの出向役員として六年間お世話になりました。
六年前、組合へ入会して間もない私に、当時のFACE会長から「君たちには、FACEのエースとして印青連に出向してもらう!」と、これ以上ない光栄なお言葉をいただき、「印青連ってなんぞ?」と思いながらも、期待と不安に胸膨らませていたことが、思い起こせば昨日のことのようです。
何も分からない一年目、楽しくなってきた二年目、印青連で任されることも増え、楽しくも忙しい三・四年目を経て、五年目からは、
頭のネジがおかしな人達
・・・じゃなくて、憧れの対象でしかなかった委員長(だいぶ偉い)の役職を拝命したのです!
しかし、楽しい時間は短いもので、一期二年の任期も間もなく終わります。
また、次世代の人達の為に今期で印青連を卒業する決心をし、これが現役役員として最後のブログ投稿になります。
「この支配からの♪卒業~♬」が、何故か脳裏に浮かんでくる・・・。
いやいや、ホント寂しいんですよ。いや、マジで。
っとゆーことで、今日は印青連を卒業する前に、皆さんに少しでも印青連を知っていただきたく、六年で得た私の経験を適当な主観でお届けしてみたいと思います。
広報委員長、最後のひと仕事としてね。
(やっぱり寂しいぞ!!)
印青連ってどんなとこ?
たまに名前は聞くけど、印青連ってどんなとこなの?
印刷周辺業界の方だと、そんなこともあるかもしれませんね。
印青連は、印刷周辺産業組合青年部10団体で構成される連絡協議会です。
隣接業界との交流や情報交換を横断的に出来るように結成されたと聞きます。
各団体から出向役員を派遣し、交流や情報交換をするだけでなく、大きなイベントやセミナー等を行ったりします。
また、印青連には担当役割ごとの「委員会」があり、各委員会ごとの活動や、全ての委員会が一丸となって活動することもあります。
最高のイベント集団!印青連!!
連絡協議会として横断的な横の繋がりを大切にする一方、印青連は大きなイベントを行うのが得意です!
これまでも、一般の方をターゲットにした「印刷実験室」や印刷脳脱却を掲げた「印青連博覧会」、加盟団体の家族を巻き込んだ「大人の運動会」など、様々なイベントを企画し、大成功させてきました。
中でも、毎年100人以上が集まる印青連大忘年会は圧巻。
あ、写真間違えた。
因みにこのお方、「お前たちはエリートだ!!」と私達を印青連に送り出してくださった、元FACE会長、そして元印青連会長でもある、華々しい(?)経歴を持つ原田大先輩。
最敬礼(`・ω・´)ゞ
感謝しかありません!!
の気持ちです( ゚Д゚)
敬愛する原田さん、こんなとこで引っ張り出して、本当にゴメンなさい。
本物は洗練されたナイスミドルです。
こっちでした。
多分初めて経験する役員の人は、ちょっと引きます。
半裸にされて踊らされたり、学生服とカツラ被らされて歌わさせられ・・・
ハッ!!
はっはっはっ。
じょーだんすよ。じょーだん。
右、私ね(やらされた)
まぁいいか。
それくらい印青連のイベントは大規模で
ぶっ飛んでる!!
ってことです!
今はコロナ禍で思うようにイベントは出来ませんが、明けたら反動で凄い事になりそうですね!!
田中体制一年目の活動
2019年5月の総会を経て、一期二年の今期印青連が、田中会長の元スタートしました。
今期のキーワードは、連絡協議会としての
「原点回帰」
横断的な繋がりをより深め、派遣役員だけではなく各組合青年部の隅々まで、印青連が発信するイベントを楽しんでもらったり、情報を共有して皆で印青連に加盟するメリットを感じてもらう!というスローガンでした。
田中体制では、「総務委員会」「事業委員会」「広報宣伝委員会」の三委員会が設置され、各委員会が原点回帰を合言葉に活動を行いました。
早速8月には交流イベント「印青連夏すぽフェス」を開催。
皆でスポーツをして健康的になった後、各団体との交流も深め、結局カロリー回収。
しかし、笑顔溢れる素晴らしいイベントでした。
そして12月には「印青連サミット2019」と題し、各団体の長をお呼びして印刷産業の未来について熱く議論を交わしました。
この時はコロナなんて言葉も無かった。
自由に活動出来ていたこの頃が、今考えれば羨ましくもありますねぇ。
コロナ禍でも出来ることを
2020年の1月末まではどこか他人事だったコロナも、2月、3月には国内に蔓延しだし、活動は一気に制限されました。
2020年4月7日に日本でも初めての緊急事態宣言が発令され、全てが一斉に自粛ムードに。
印青連も当然、定例的な会議やイベントは自粛する事に。
何か行動したくても、してはいけない・・・。
我々はこの先どうすれば?
そんな漠然とした疑問と解決出来ない問題を抱えながら、緊急事態宣言解除を受け早速始動。
しかし当時は例え会議であっても集まれる世論ではありませんでした。
では、印青連は何もしなかった?
答えはノーです。
コロナの影響は大きく受けましたが、それでも出来る事を前向きにやりました。
会議は感染対策を万全にしたリアル参加とZoom(ビデオツール)参加で分け、人の密集を避け通常通り月一回の役員会を行いました。
また、人の集まる大規模イベントが開催出来ないならと、例年なら大人数で行っていた工場見学(印青連移動サロン)では、工場見学の現場に行く人数を撮影に必要な最小人数に抑え、撮影動画をリアルタイムに配信し、加盟企業に向けて情報発信しました。
手法も何も、これまで経験がないことばかり。
それでも何とかする、やってみる印青連魂。
コロナ禍で得た、素晴らしい経験でした。
広報宣伝委員会活動
あーぁ。
しかし相変わらず普通の内容で、自分で読んでて面白くない。
休みの日に、一人会社で寂しくこのブログ書いてるし。
まぁ、真面目で普通が取り柄の私ですから、しょうがないですね。
最後に感動しますから(ホントか?)、もう少しお付き合いください。
この二年、広報宣伝委員会は、「人にフォーカスした」広報を念頭に活動してきました。
例えば、印青連NEWSをリニューアルし、二年を掛けて印青連10団体の長、全員のトップインタビューを記事にしてきました。
また、印青連の活動やイベント報告、そして印青連役員紹介を主にブログ配信し、印青連のことや印青連に所属する人をもっと知ってもらおうと、広報委員会は奮起してきました。
昨今のコロナ禍においても、
コロナ禍なんて関係ない!いつもの元気な印青連!!
を発信することで、その元気を少しでも多くの人や業界の仲間に伝えて、前向きな気持ちになって欲しいと思ってやってきました。
これまで活動の手を止めることなくやってこれたのは、苦楽を共にしてくれた広報委員、皆のお陰です。
ロクな写真が無かった。
広報の皆(特に横田さん)、ゴメンなさい。
広報メンバーには、こんな凡人の私に二年間もついてきてくれて、本当に感謝に堪えません。
自分達が表に出ることは多くはないけれど、私達広報宣伝委員会は、約800社(印青連加盟企業)を代表して、横断的に情報を発信する、そんな誇らしい仕事を任せてもらったと、自負しております。
ま。そーでも思わなきゃ、やってらんな・・・
責任とやりがいある良い環境でしたよ。
最後に。委員長を受けた理由
凡人たる私は、委員長のご指名をいただいた時、「(頭のネジは普通だから)自分にはとても出来ない」とお断りしようと思いました。
むしろ、前期が終わった時点で、本当は印青連役員を卒業しようと企んでいたのに。
では何故この二年、委員長を引き受け、やってこれたのか。
どうしても、印青連会長にしたいヤツがいたからです。
彼は、組合歴では私の先輩。
私が印青連に入った時には、既に大御所の風格。
ただの怖い人でした。
しかし、様々な活動を共にするうち、馬鹿なことも真面目なことも、彼とは多くを話すようになりました。
そしていつからか、彼の人を惹きつけるその魅力を、今以上に印青連で発揮して欲しいと思うようになりました。
その想いが、二年かけてようやく叶う時が来たのです!!
それは・・・
お前だ( ̄▽ ̄)
頑張れよ!!
竹内次期印青連会長(候補※めんどくせぇな)!!
もし、ここまで読んでしまった方。
あなたは次の印青連の、担い手なのかもしれませんね^^
私の印青連愛が強すぎて「気持ち悪いw」と言われたこともあったけど、やってて良かったなぁ。
皆様、次期竹内体制の印青連も、是非暖かいご支援とご協力を心よりお願い申し上げます。
竹内さん、一足先にマスターズで見守ってますね^^
広報委員会では二年の間、副委員長として全部助けてくれて、アザっした!
あと、人生の先輩はちゃんと敬いなさい(俺が永遠に1コうえ)
記事:
㈱松谷メールサービス
松谷 勝広
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