皆さん、こんにちは!
東京都ラベル印刷共同組合所属、旭物産株式会社の山崎俊(39)です。
久しぶりのブログは何を書けばいいのやら。
自社の紹介は以前、清水ともこさんが記事にしてくれたから省くとしまして、今日に至るまでの印青連の私の歩みと思い出を一つ。
まず、ラベル組合に入った経緯について。
そもそも弊社はラベルの会社ではなく、軟包材の会社であります。
あるお客さんのツテで大進ラベル印刷株式会社の藤井崇徳さんと出会い、細かい経緯は忘れてしまいましたが、弊社で作成できるテープ付きPP袋にも「糊がついているからもはやこれラベルだろ!」という強理論で勧誘され参加する事となりました。
印青連への参加については、ラベル組合に入る前に忘年会に連れていかれたり、駅伝で走らされたりを経て知らないうちに役員となった感じです。なので、その頃はラベルの人と印青連の人、その他組合の人の区別がついてませんでした。
これももう10年ぐらい前の話です。
そうです。私、10年も印青連役員をやってるんですよ!
超古株と言っても過言ではない私。古株だが、出しゃばりではない為、ひっそりとヒラ役員をしております。
そんな私でもいくつか大役を仰せつかった事があります。
印青連の大行事、忘年会の司会を3回程こなした事があり、その中のひとつが忘れられない、忘れたい、もう二度とやりたくない思い出です。
その年はインド料理屋貸し切りで忘年会をする事になり、なぜか私が司会に。
印青連の忘年会は参加者100人以上になることもあり、それだけでもプレッシャーなのだが、なぜかインド人に似ている平井堅がサプライズで来る事になった。
新曲のPRの為らしくTVカメラも入るらしい。打ち合わせでそれを聞いた時は変な汗をかき、動悸が激しくなった。司会を辞退したくなったが、Noとは言えない日本人の山崎。
もうその日から当日まではずっと不安で気が気じゃなく、それなりの用意はして臨んだけど、当日、仕事のほうがうまくいかず、結構ギリギリで現場入り。
そんな状態だったので本番でも段取りミスをしてTVクルーやスタッフに「あれ?なんか予定と違いませんか?」と言われる始末。
頭真っ白の中、勢いと雰囲気で事を進め、平井堅サプライズ登場で会場は驚きと歓喜で大盛り上がりしたのが救い。その時の平井堅関係者の方々、誠に申し訳ございませんでした。
こんな経験は二度としたくないと思いつつも貴重な体験だったなあと思います。
今年はコロナで派手な事はできませんが、いずれ落ち着いてまた活発な活動をする印青連になっていくことでしょう。
そこそこにお手伝いをしていきたいと思います。
文:旭物産株式会社 山崎俊
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